昨日、このワーキングプアの大黒柱奮闘記にコメントと相互リンクのリクエストが来た。
その方が運営しているブログはパチスロ関連なので、ジャンル的にはちょっと違うのだが、思考が似ているのと大きなくくりで言えば、お金が欲しいというのは同じだと感じたのでありがたく相互リンクさせてもらった。
ジャンルは違うとはいえ、お金ってのはみんな欲しいものなんだよなぁ…などと考えていたら、そもそもお金とは何か?ということを改めて考えてみた。
誰かが決めたお金の定義というのはあるのかもしれないが、そういうのを調べるのではなく、オレにとってお金とは何か?という視点で考えてみる。
現代の日本で人が最低限の生活するための基本は衣食住が確保されている状態だろう。
まあ、生活ではなく、人が生きるということだけにフォーカスすれば、食さえ確保できていればどうにかなるのだが、フツーの生活をするためにはやはり衣食住が基本となるだろう。
では、現代で衣食住さえそろっていれば、フツーの生活が送れるかというと悲しいかなそれだけでは単なるビンボー人でしかない。
現代では衣食住が確保できてるのは当たり前で、それ以外に車がなければダメ、エアコンがなければダメ、スマホがなければダメ、パソコンがなければダメというのが当たり前だ。
さらにフツーの生活を送るだけでストレスが溜まるので、カラオケに行ったり、外食したり、泊りがけで旅行に行ったりしてストレス発散しなくてはダメというのも当たり前だ。
それらのダメをすべて解決できるのがお金ということになる。
地獄の沙汰も金次第ということわざがあるが、まさに言い得て妙である。
例えばお金持ちとビンボー人の2人が地獄の苦しみを味わうような病魔に襲われても、お金持ちは新薬の治療も試せる可能性があるし、場合によっては権威と呼ばれる医者に診てもらうこともできる。
しかし、ビンボー人はお金が無いというだけで、治せる病魔も治せずにひっそりと生涯を終えていくということもあるだろう。
ま、オレは生まれつきのビンボー人なので、ひっそりと生涯を終えることになんの抵抗もないのだがw
その他にもお金さえ持っていればいろんな願いが叶うので、みんながみんな揃ってお金が欲しいと思うのだろう。
で、昔からよく言われている疑問に『お金で幸せは買えるか?』というのがあるが、これに関するオレの出した答えはこうだ。
『お金で幸せは買えない!しかしお金で解決できる不便や不快はたくさんある!』
幸せというのは、その人が感じるものなのでどんなにビンボーでも本人が幸せと感じれば幸せなわけで、決して人と比較して決まるものではない。
つまり幸せとお金との間に関連性は一切ない。
そう考えるとオレにとってお金というのは、不便や不快と感じることを解決するための単なる道具でしかないのだ。
結論としては、お金とは不便や不快を解決するためのツールだ!ということになる。
こう考えると単なるツールを得るために必死になるのもいかがなものかと思うし、振り回されるのもあほくさいとも思うのだが、ビンボー人のオレが言うと単なる負け惜しみにしか聞こえないかwww
そしてオレはこれからもお金を追い続けることに変わりはないw
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