軽貨物の仕事もだいぶ慣れてきて、仕事の量が比較的、多くても早く終わらせられるようになってきた。
で、帰宅するとすぐにパソコンの前に座り、アフィリエイト作業に時間を費やす日々が続いていた。
そのため、老眼と目の酷使による疲れ目で目の奥が毎日のように痛く、日によっては頭痛、肩こりもあり、ひどい時には吐き気を催すこともあった。
そのがんばりが実を結び始めたのか?アフィリエイト報酬も11万円、14万円、11万円とひとつの目標でもある10万円という金額を3ヶ月連続で超えた。
その時のうれしさは今でもよく覚えているが「ようやく俺も下っ端ながらアフィリエイターの仲間入りだ!あとはもっと収入を上げて、アフィリエイト1本で食っていけるようになるまでだ!」とはずむような気持ちでいたのだった。
しかし、アフィリエイト収入を安定させるのは非常に難しく、3ヶ月連続10万円突破の翌月には97000円、その翌月には69000円、さらに5万円台になり、最後には4万円台まで落ち込んだ。
さすがにその時は落ち込んだし、経済的にも困ったことになったが、そこは生まれつき楽天家の俺様。
「こんなことは成功までのプロセスにはよくあること。落ち込んでいるヒマがあったら作業しろ!」と自分自身にハッパをかけて、疲れ目と戦いながら作業をし続けた。
しかし、その年の報酬で月10万円を超えたのは1度しかなく、あとは4万円~7万円あたりをウロウロしていて、最終的には1万円台にまで落ちてしまった。
さらに追い討ちをかえるように軽貨物の仕事も異常なほどヒマで、8月なんかはお盆休みも手伝って、手取りで14万円台というとてつもなく低収入だったこともあった。
手取り14万円と言っても、そこからかかったガソリン代やオイル交換代などの経費がかかっているので、実質で考えれば10万円程度になる。
当然、生活費はまったく足りていないので、チョロチョロとカードでキャッシングをして不足分を補いながら生活をしていた。
そうなると支払いも増えるので、生活はますます困窮していった。
これこそワーキングプアと言わずになんと言うか?
ここで立派なワーキングプアの誕生となったのであった。
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